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野見神社・永井神社(高槻市野見町)

0野見神社・拝殿

かつて高槻城内の一画にあり、
歴代城主に厚く信仰された神社です。
今も、高槻の、街の、人々の、中心にある
四季折々美しい神社です。



阪急高槻市駅 南口から高架に沿って少し歩き、
はじめて当たる通りを左手、商店街をぬけて南向きに進みます。

国道171号線を渡って、そのまま直進してもよいのですが、
一本東側の通りは、閑静な寺町ですので、そこを通っても風情があります。

0高槻カトリック教会

また、さきの通りにもどると、高山右近の像があるカトリック高槻教会があります。

そして、並びの高槻現代劇場を超えると、野見神社に到着です。

①野見神社・鳥居(高槻市野見町)

野見神社は高槻市民にとっては、とっても親しみのある神社といえます。
高槻の街の中心にあり、
周りには、高槻城跡(城跡公園)、しろあと歴史館、高槻中学校などがあり、
すぐお隣のグラウンドでは、高槻市の催し物がよく開催されていて、
私たち家族も、よく訪れる神社の一つでございます。

一年をとおして、野見神社のお姿を拝見していて、
新緑の季節、紅葉の季節もよいのですが、
やっぱり、この桜の頃が一番美しいのではないかと思います。

③野見神社・手水舎(高槻市野見町)

手水舎です。ちょうど桜の花びらが散って美しいです。

④野見神社・手水舎・龍(高槻市野見町)

なんだか可愛らしい龍です。

⑥永井神社(高槻市野見町)

入ってすぐに永井神社という社があります。
こちらには、高槻藩初代藩主の永井直清が祀られているのです。

⑦永井神社・唐門(高槻市野見町)

永井神社の唐門。
美しい彫刻がほどこされています。
あちらこちらにあしらわれたテッセンは永井家の家紋なんですね。

⑧永井神社・拝殿(高槻市野見町)

永井神社の拝殿です。

⑩永井神社・拝殿屋根(高槻市野見町)

ご拝殿の屋根にもテッセンの彫刻がされています。
龍の彫り物も見えますが、タツノオトシゴのようで可愛らしいです。

⑨永井神社・狛犬(高槻市野見町)

ちなみに、永井神社の狛犬と獅子です。
なんとも可愛らしい。

⑪野見神社・拝殿 (高槻市野見町)

そして、野見神社の御拝殿です。

⑫野見神社・狛犬(高槻市野見町)

なんだかでこぼこコンビの狛犬と獅子です。

⑬野見神社・工事中(高槻市野見町)

今回参拝した時には境内一角を工事中だったのですが、
こちらは以前、高槻戎神社と能舞台があったところです。

⑭野見神社・旧・戎神社と能舞台(高槻市野見町)

能舞台では、高槻ジャズストリートでのジャズ演奏や、
乳児たちが奮闘する泣き相撲など、いろいろと催しが行われていました。
ちなみに、うちの姫も泣き相撲に参加させてもらいましたが、
そういう意味でも、本当に、高槻の人々の中心にある神社ですよね。

⑯野見神社・泣き相撲(高槻市野見町)

相撲といえば、野見神社は、
八岐大蛇を倒した須佐之男命と
最強の力士であり、土師氏の祖とされる野見宿禰命を祀っており、
武運長久のご利益があるとされます。

⑮野見神社・絵馬

野見宿禰は、3世紀後半(垂仁天皇の御代)
当時最強の横綱とされた当麻蹴速(たぎまのけはや)を破ったと
いう逸話が記紀神話に残されています。
また、野見宿禰は、垂仁天皇の皇后である
日葉酢媛命(ひばすひめのみこと)の葬儀に際し、
殉死をやめて、代わりに埴輪を用いることを提案し、
それから、古墳造り、ひいては、葬送儀礼を司る土師氏の祖となった、といわれています。

⑰野見神社前・ムクのキ大明神(高槻市野見町)

こちらは、野見神社の向かいに鎮座される白い鳥居の小さなお社です。
ムクのキ大明神というお社だそうで
かつて、高槻城の三の丸の一角に生えていたムクノキの名残を今にとどめます。
当時は年1回、庶民が参加する盆踊りが場内で行われ
その接待所がこのムクノキ周辺だったのだそうです。



■野見神社・永井神社

《創建》
9世紀末 宇多天皇の時代(887~897年)
この地に悪病が流行して多くの死者がでた時に
「社殿を造り、牛頭天王をお祀りすれば悪病が治まる」という神託を受け、
牛頭天王(=須佐之男命)をお祀りしたところ、
悪病が治まったことから、社殿を築造し「牛頭天王社」と称したそうです。

《祭神》
・須佐之男命(=牛頭天王)
・野見宿禰命

《歴史》
10世紀末 高槻城の築城(990年頃近藤忠範によるとされる)により城内守護となる。
その後、歴代高槻城主の崇敬を集める。
元亀4年(1573年)キリシタン大名の高山右近が城主となり、神殿は破壊、社領は没収。
元和5年(1619年)松平家信が城主となり、城内の安全を祈願して牛頭天王社を新造。
慶安2年(1649年)永井直清が高槻藩初代藩主となり、更に社殿を修築。
明治元年(1868年)神仏分離令により牛頭天王を須佐之男命と改め、野見宿禰命を合祀して「野見神社」と改称。


※野見神社HP
※高槻市HP(野見神社と永井神社)


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