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信貴山朝護孫子寺(奈良県生駒郡平群町)

⑰信貴山・朝護孫子寺・本堂へ(奈良県生駒郡平群町)

広大な山に点在する院やお堂と、
大小様々な 張子の寅に、各所に置かれた寅の像。
緑深い雄大な景色に、勇ましい寅の姿。
なんだか勝ちにいけそうな、気合の入るお寺でした。



①信貴山・開運橋からの風景(奈良県生駒郡平群町)

奈良にすまう主人の母の古稀をお祝いして、
いつもとは違う場所で、
温泉にでもつかりながら、ゆったりお食事会をしようと
信貴山観光ホテルにやってきたのですが、
ホテルのすぐそばに歴史ある名高いお寺があるということで
家族皆でゆるゆると参拝させていただきました。

②開運橋(奈良県生駒郡平群町)

まずは、開運橋というところを渡ります。
朱に黄色の虎。
確かに運が向いてきそうな感じがします。

③開運橋からの眺め(奈良県生駒郡平群町)

峡谷にかかる赤い橋。絶景です。
向こうに見える橋は、信貴大橋といい、そちらの橋を渡ると、
信貴山の西の守り神・白虎の姿を見ることができます。

④張子の寅(奈良県生駒郡平群町)

橋を渡ると、早速、張子の寅が出迎えてくれました。
なぜ、寅づくしか、というと…
このお寺創建の伝説にあるのですが、
今を去ること1400年余り、蘇我氏の物部守屋討伐において
聖徳太子ら蘇我氏側が、毘沙門天の加護を受けて、
寅年、寅の日、寅の刻に、対する物部守屋を打ち負かしたことに由来するそうです。

⑤信貴山・迷路のような境内(奈良県生駒郡平群町)

信貴山はとても広大な山で、
その山全体が境内であり、様々な院や、お堂が、かしこに点在し、
大きな仏の街というか、この山で一つの仏国土を体現しているような感じで、
それらをつなぐ参道は複雑で迷路のようです。

とりあえず、本堂を目指して歩いていきます。

⑦信貴山・大寅(奈良県生駒郡平群町)

ちなみに、境内には
張子の寅や、寅の姿の刻まれた燈籠や像がたくさんあります。
こちらは大寅。
なんとまあ、世界一大きな福寅さんだそうです。

⑧信貴山・小寅(奈良県生駒郡平群町)

こちらは小寅ちゃん。


⑨信貴山・寅の燈籠(奈良県生駒郡平群町)

寅が睨みをきかせる燈籠。
⑩信貴山・寅の像(奈良県生駒郡平群町)

⑪信貴山・寅の像(奈良県生駒郡平群町)

寅の石像が、あちらこちらに。

⑫信貴山・かやの木稲荷大明神(奈良県生駒郡平群町)

そして、本堂を目指す道中に、大変立派なかやの木がありました。
寺院創建の伝説である物部守屋討伐以前に萌芽した
樹齢1500年の御神木だそうです。


⑬信貴山・かやの木稲荷の手水舎(奈良県生駒郡平群町)

御神木を祀るかやの木稲荷の手水舎です。

⑭信貴山・聖徳太子像(奈良県生駒郡平群町)

かやの木稲荷の傍には、少年姿の聖徳太子像がありますが、
矢を背負っていて、物部守屋討伐へ臨むお姿かと思います。
角髪をゆい笛をふいている姿が初々しく、牛若丸を彷彿とさせます。
私の日本の歴史知識の源である『マンガ日本の歴史』の1シーンで、
戦場にて、夜、少年の太子が、四天王像を彫り上げ、
それを冠して戦い勝利した場面が思い浮かびます。

⑰信貴山・朝護孫子寺・本堂へ(奈良県生駒郡平群町)

そして、やっとやってきました、毘沙門天をお祀りする本堂でございます。

⑰信貴山・朝護孫子寺・水屋(奈良県生駒郡平群町)

水屋には大きな鉢があります。

そして、階段を上がって回りこむと、本堂正面に出ます。

⑱信貴山・朝護孫子寺・本堂(奈良県生駒群平群町)

山の中腹からせり出すように建つ本堂からは、大和平野を一望できます。

毘沙門天といえば、鎧兜のお姿から、勝負事の神であるかと思っていたのですが、
そのお姿は、困難にあっても我慢強く耐え抜く力強さを体現されていて、
商売繁盛、金運如意、開運招福、心願成就を授けて下さる福の神でいらっしゃるそうなのです。

母のこれからの健康長寿と、家族皆の福徳をお祈りいたしました。



■信貴山(しぎさん)朝護孫子(ちょうごそんしじ)寺(奈良県生駒郡平群町)

《山号》信貴山

《宗派》信貴山真言宗  

《本尊》毘沙門天

《創建》不明

伝承として、聖徳太子を開基とする逸話があります。
敏達11年(582年) 物部守屋討伐の際、聖徳太子が自ら四天王像を刻み、戦勝祈願し
寅の年、寅の日、寅の刻に、毘沙門天が現れて、勝利することができたことから、
推古2年(594年)毘沙門天を祀り寺院を創建し
〝信ずべき貴ぶべき山〟として〝信貴山〟と名付けたとされます。

後、醍醐天皇がご病気の折、当寺で修行中であった命蓮(みょうれん)上人が
毘沙門天に病気平癒を祈願したことで、ご病気が癒え、
延喜2年(902年)醍醐天皇より「朝護孫子寺」の名を賜ることになったそうです。

寺院に伝わる、国宝『信貴山縁起絵巻』(12C成立、日本の絵巻物の代表作)には、
その命蓮(みょうれん)上人についての様々な逸話が描かれています。

《参考》信貴山真言宗 総本山 朝護孫子寺 公式サイト

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