お墓参り(2017お盆)

今年のお盆は、精霊棚のお飾りもせず、お盆をやり過ごしてしまいました。
千の白鳥の飾りに追われていたのもあったのですが、何かと立て込んでしまって、
そもそもお仏壇もないし、宗派は浄土真宗なので、なんちゃってな所はあったのですが…。
とはいえ、実家に帰って、お仏壇とお墓の掃除とお参りはしてきました

お仏壇(2017年お盆)

今年は何かと準備不十分でした。
帰省したのも、実はお盆を過ぎた後でしたし。
娘がアンパンマントロッコ列車に乗りたいというもので、
その予約との兼ね合いで遅くなってしまいました。
お仏壇のお花やお供え物は、
母たちが、お盆にあわせてお供えしてくれていたものそのままです。
でも、滅多にお参りする機会もないのに、
お花もお供物もちゃんと準備してくればよかったと、反省いたしました。

お墓(2017年お盆)

お墓も、暑いからと夕方になって出かけたからか
行きがけに寄ったスーパーにはお墓用の花が少ししか売っておらず、
ちょっと、なんだかなという感じになってしまいました。

お墓全体※加工済(2017お盆)

お仏壇もお墓も私にとってはとても大切な場所です。
死者や先祖の居場所であり、死者や先祖を思う寄り代であり、
自分が今こうしてここに生きていることを感謝し、
仏様(便宜上〝仏〟とか〝神〟とかとよばれる存在)に、手をあわせる場所です。
便宜上なんて言ってしまっていますが、〝仏〟とか〝神〟とか、そういう存在を
素直に受け入れられず、どうすれば納得できるのかと、ずっと考えてきました。
そこで至った考えが、
〝仏〟も〝神〟も呼び名が違うだけで、
目に見えない不思議なものとか、人知を超えたものとか、宇宙とか、自然とか、
地球が生まれて、生命が生まれて、人間が生まれて、命が連綿と続いている奇跡とか、
そういう存在を、具現化したものなのではないかと、いうことです。

かつては、一つの宗旨宗派に属し、その教えを信仰し、その教えに則った作法を行うのが、
大人の嗜みであるかのように思っていましたが、
最近、どうなんだろう…と思っています。
色々な宗旨宗派の、納得できる部分だけを拾い上げて行うのは間違っているのでしょうかね?
宗教とか宗派ってなんなんでしょうね?
自分の気持ちや納得のいく方法を優先したら間違っているんでしょうかね?
そういう考えは、新興宗教とか、無宗教とか、と呼ばれるんでしょうかね?
そもそも、一つを真剣に突き詰めるよりも、曖昧に全てを受け入れていくのが、
神社に初詣して、お彼岸やお盆の法事をして、クリスマスも楽しむ、日本人独特の宗教観念なのでしょうかね?

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