能褒野王塚古墳(三重県亀山市田村町)

0日本武尊の墓・能褒野王塚古墳(三重県亀山市)

ヤマト王権の伝説の英雄、ヤマトタケル。
王権の力を拡大するために、西へ東へ攻め入り、
その戦いの末に、彼が眠りについたという能褒野。
その魂は白鳥となり空へ飛び立ったと語られています。



夏休み。
娘の希望で、鈴鹿サーキットに遊びに出かけまして、
そのついでといってはなんですが、
近くの古墳を散策してまいりました。
出かけるにあたって、
鈴鹿付近に古墳はないかなあと調べておりましたら、
なんとまあ〝ヤマトタケルのお墓〟とされる古墳があるとかで、
能褒野王塚古墳(のぼのおうつかこふん)を訪ねました。

場所の詳細が分からないので、
とりあえず〝能褒野(のぼの)〟という
独特の地名を頼りに車を進めました。
〝のぼの〟って不思議な名前ですよね。
記紀神話に記された
ヤマトタケルの薨御地なのだそうですが、
タケルの魂が白鳥となって天に〝のぼった〟
ことに由来する、という説もあるそうです。

のぼのの森公園・広場

さて、車を走らせ、
「のぼのの森公園」という広場と、
鬱蒼と茂る森、そして、駐車場を発見。

のぼのの森公園

案内板を見ると、
この森一帯を「のぼのの森公園」というようで、
この園内というか、この森の中に、
ヤマトタケルのお墓もあるとのこと。
早速行ってみることにいたしました。

①能褒野神社境内・日本武尊の墓へ(三重県亀山市)

森の中には、能褒野神社という社もあり、その境内に
日本武尊御墓参道という石碑がありました。
石碑の示す方向へ行くと、樹々に覆われた暗い道があり、
それを少し進んでいくと…

②能褒野王塚古墳へ(三重県亀山市)

突然、景色がパッと開けました。
夕方だったせいか、樹々の深さゆえか、そこへ至るまでの道がなんだか心細くて
景色が開けるとホッとしました。
なんというか、深い森を抜けて隠し里にやってきたという気分です。
田んぼが広がっていて、これぞ日本の原風景!といった感じです。

④能褒野王塚古墳・階段(三重県亀山市)

そして、階段をゆきます。

③能褒野王塚古墳・手水舎?(三重県亀山市)

上がり口に、手水舎でしょうか。石で囲われた所があります。

⑤日本武尊の墓(三重県)

そして、来ました。ここです。
ヤマトタケルといえば、古代神話一の伝説の英雄だと思うのですが、
静かというか、この鬱蒼と茂る森のせいか閉ざされた感があるというか…。
少しイメージとは違いますが…。

ちなみに、ヤマトタケルのお墓といわれていた所は、
白鳥塚古墳(三重県鈴鹿市石薬師町)など他にも複数あるそうで
明治12年(1879年)に宮内省(当時)により、
こちらがそうであると治定されたのだそうです。

⑥能褒野王塚古墳(三重県亀山市)

「景行天皇皇子 能褒野墓」とあります。

ヤマトタケルといえば、記紀神話に記される英雄で、
『古事記』と『日本書紀』で違いは多々見られるのですが
第12代景行天皇の皇子で、ヤマト王権の西征、東征に尽力した英雄として描かれています。
一節には、4~7世紀に活躍した英雄をひとまとめにした創造の人物ともいわれております。
酒盛りの席で女装して近づき九州の王・熊襲を討ち果たしたエピソードなんかは有名ですよね。
ちなみに、ヤマトタケルという名前は〝日本最強の勇士〟を意味する名前で
熊襲討伐の功績で後から与えられたものです。

せっかくですので、
『古事記』『日本書紀』で描かれるヤマトタケル薨御の場面
を比較しておきます。

『古事記』(712年完成)
⇒〈倭建命〉は[能煩野]で亡くなり、后や子が[能煩野]に陵を造ったが、
大きな白鳥となって飛び立ち、[河内国の志幾(大坂府柏原市)]に留まったので、
その地に陵を造り「白鳥御陵(しらとりのみささぎ)」と称した。

『日本書紀』(720 年完成)
⇒〈日本武尊〉は[能褒野]で亡くなり、「能褒野」に陵を造ったが、
白鳥となって飛び立ち、「倭の琴弾原(奈良県御所市富田)」ついで
「河内の旧市邑(大阪府羽曳野市軽里)」に留まったので各地に陵が造られた。
これら三陵を「白鳥陵(しらとりのみささぎ)」と称する。

⑦能褒野王塚古墳・飛び地倍塚(三重県亀山市)

古墳の周辺には、陪塚が多く残されています。

⑧能褒野王塚古墳・飛び地陪塚(三重県亀山市)

能褒野神社境内に、飛地陪塚として何基も確認できます。
合計14基の陪塚が確認されている他、
古墳周辺には円墳などが点在し、能褒野古墳群とされています。

⑨能褒野王塚古墳・鰭付円筒埴輪(三重県亀山市)

森の周辺に池がありました。
池の中にあるのは、こちらの古墳から出土した円筒埴輪のレプリカですね。
円筒埴輪の両側に鰭(ひれ)がついているので、
「鰭付(ひれつき)朝顔型円筒埴輪」と思われます。





■能褒野王塚古墳(のぼのおうつかこふん)

《住 所》 三重県亀山市田村町
《エリア》 能褒野古墳群
《別 名》 丁子塚(ちょうじづか)
《時 期》 4世紀末(古墳時代前期)
《形 状》 前方後円墳
《規 模》 墳丘全長90m 
[後円部]直径:約54m高さ:約9m/[前方部]幅:約40m高さ:約6.5m
《埋葬施設》竪穴式石室(推定)
《被葬者》 日本武尊(明治12年 宮内省治定)
《出土品》 鰭付朝顔型円筒埴輪、器材埴輪など
《その他》 駐車場あり・能褒野神社と隣接
       一帯が「のぼのの森公園」として整備されている
《参 考》 能褒野王塚古墳案内板/古墳の地図帳(辰巳出版)

関連記事
スポンサーサイト

Comment 0

WHAT'S NEW?