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加佐登神社(三重県鈴鹿市加佐登町)

⑦加佐登神社・拝殿(三重県鈴鹿市加佐登町)

ヤマト王権の英雄ヤマトタケルが
薨御したとされる伝説の地
そこには、命果てる最期までタケルと共にあったという
笠と杖を祀る社がありました。



夏休み、鈴鹿サーキットに行きたいという娘の希望で
三重県にやってきたのですが
事前に、付近の古墳や社寺を探しておりましたら
なんと、ヤマトタケルのお墓とされる古墳がある
とのことだったのですが
そのお墓とされる所は複数あって
今回は、能褒野王塚古墳(三重県亀山市田村町)
白鳥塚古墳(三重県鈴鹿市上田町)を訪ねることにいたしました。

前々々回、能褒野王塚古墳の散策記録をつけましたので
今回は、白鳥塚古墳にまつわる記録をつけておきたいと思います。

①加佐登神社(三重県鈴鹿市加佐登町)

さて、この日、白鳥塚古墳をカーナビにセットして
近くまできたのですが
実際に古墳へ至る道が分かりづらく
やってまいりましたのが、加佐登神社です。

②加佐登神社・MAP(三重県鈴鹿市加佐登町)

案内板がありました。
古墳は、加佐登神社の北西に位置し
社を抜けていくルートが分かりやすいようなので、
まずは、神社にお参りすることにいたしました。

③加佐登神社・参道(三重県鈴鹿市加佐登町)

階段を上がっていきます。

④加佐登神社・参道(三重県鈴鹿市加佐登町)

上がっていきます。

⑤加佐登神社(三重県鈴鹿市加佐登町)

そして、境内に到着です。

⑥加佐登神社・手水舎(三重県鈴鹿市加佐登町)

手水舎です。

⑦加佐登神社・拝殿(三重県鈴鹿市加佐登町)

拝殿です。
こちらの社は、ヤマトタケルが最期まで携えていたという
「笠」と「杖」を御神体としているのだそうです。

⑧加佐登神社・拝殿にあった石(三重県鈴鹿市加佐登町)

拝殿の所に、こんな石が丁寧に安置されていました。
なんの石でしょう?
古墳の石でしょうか…?

⑨加佐登神社・ヤマトタケル像(三重県鈴鹿市加佐登町)

拝殿脇には、ヤマトタケルの像がありました。

ヤマトタケルは、第12代景行天皇の皇子で、
ヤマト政権の勢力拡大に大いに貢献した英雄として語られています。
タケルは、九州の熊襲、出雲を制圧し、更に東へ進軍するのですが
東征のさ中、伊吹山の神と戦い破れてしまうのです。
傷をおったタケルは大和へ帰ろうと足を進めますが、
道半ばで、足が三重に曲がって歩けなくなってしまいます。
そのため、この当たりの地を「三重」というのだそうです。
そして、「能褒野」という地で薨御したと記されているのです。
ということで、この三重県北部では
ヤマトタケルの薨御の地とされる所が複数あるわけなのですが、
その中で「能褒野の墓」として宮内省が比定しているのは、
能褒野王塚古墳なのです。

専門的な考察から、そう定められたのでしょうが
この加佐登の地にも実際に古墳があり、
古からの神社があるわけで、
江戸時代の国学者・本居宣長や平田篤胤らも、
こちらの白鳥塚古墳を能褒野墓として見ていたそうですし、
それに、ヤマトタケルは、
古代のヤマト王権の英雄、数人を合わせた伝説上の人物
だという見方もあるわけですから、
ヤマトタケルという称号を与えられた、東征の将軍が
この地に眠っているのかもしれません。

⑩加佐登神社・絵馬(三重県鈴鹿市加佐登町)

絵馬です。
九州の王・熊襲討伐の1シーンが描かれていました。
酒盛りの席に女装して近づいて熊襲兄弟を襲った
という伝説の場面です。

⑪加佐登神社・勾玉守り(三重県鈴鹿市加佐登町)

おチビさんのご所望で、こんなの買いました。
私もキレイだなあと思って買ったのですが、
ちゃんと値段を見ていなくて、
神社の方にお値段を言われてびっくり。
そこそこいい値段でございました。
まあ、これも旅の記念です。



■加佐登神社(かさどじんじゃ)

《創 建》
不詳
記紀神話に登場する日本武尊の墓〝能褒野墓(のぼのはか)〟と思われていた塚の傍に、日本武尊が死の間際まで持っていたとされる「笠」と「杖」を御神体としてお祀りしたのが社の始まりで、明治まで「御笠殿社(みかさどのしゃ)」と呼ばれていた。

《祭 神》
・日本武尊
・天照大御神(ほか十四神)

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