白鳥塚古墳(三重県鈴鹿市上田町)

⑤白鳥塚古墳(三重県鈴鹿市上田町)

古代の英雄ヤマトタケルの魂が
白鳥となって空に飛び立ったという伝説の地
その古墳に葬られたのは、ヤマトタケルなのか。
それとも、他の誰かだったのか…。
古代への妄想が羽をのばします。



夏休み、三重旅行の2日目。
古代の英雄・ヤマトタケルのお墓とされる古墳
を訪ねました。
ヤマトタケルのお墓として宮内庁に比定されているのは
能褒野王塚古墳(三重県亀山市田村町)ですが、
県内には、ヤマトタケルのお墓とされる所は複数あって
今回は、白鳥塚古墳を訪ねました。

⑦加佐登神社・拝殿(三重県鈴鹿市加佐登町)

白鳥塚古墳を目指してやってまいりましたのが
加佐登神社です。
この神社の境内から、神社北部の古墳へ
道が繋がっているとのこと、案内板にそって進んでみました。

②加佐登神社から白鳥塚古墳へ(三重県鈴鹿市上田町)

ここから神社裏手の山の中に入ることになります。
道は狭く、蜘蛛の巣もそこかしこに張られて、
虫もぶんぶん飛び交って、
そこに古墳がなければ絶対に足を踏み入れたくない感じです。
私にくっついて来た娘(ダンナは車で待機中)は半泣きで、
でも、ここまで来て引き下がるわけにはいかないので、
娘をかついで進むことにいたしました。

③白鳥塚古墳(三重県鈴鹿市上田町)

少し行くと
白鳥塚古墳と刻まれた石碑がありました。
案外すぐ着いたので助かりました。
いや、しかし、ぷちインディ・ジョーンズ気分です。

③白鳥塚古墳(三重県鈴鹿市上田町)

段になっている所を上がると、
古墳の真ん前に出ました。

⑥白鳥塚古墳・周り(三重県鈴鹿市上田町)

ちなみに、古墳の周りをぐるりと回れます。
娘にぶーぶー文句を言われながら回りました。

⑦白鳥塚古墳・連理の榊(三重県鈴鹿市上田町)

古墳の近くに、こんなものがありました。
最近植樹されたのでしょうか。まだ小さな榊です。
そういえば、能褒野王塚古墳近く、能褒野神社の境内にも
「連理の榊」の案内板(実物は確認できず)がありました。
ヤマトタケルと
タケルのために命を落とした妻・オトタチハナヒメを
偲んでということなのでしょう。

⑧白鳥塚古墳から臨む池(三重県鈴鹿市上田町)

木々の隙間から、傍にある池(加佐登ダム)が見えます。

④白鳥塚古墳・案内板(三重県鈴鹿市上田町)

こちらの古墳は、古くからタケルのお墓といわれてきて
江戸時代でも最有力視されてきましたが
明治12年に、能褒野王塚古墳がタケルのお墓であると
宮内省(当時)によって比定されました。
こちらの説明板でも、
被葬者は、鈴鹿川流域を支配した地域の首長
とされています。
古墳を造れるのは皇族か地域の有力者しかいませんもんね。
タケルのお墓でないならば、地域の首長となるのでしょう。
なんだか味気ないというか切ないです。

でも、古くから
ヤマトタケルの携えていた笠と杖を祀る社があった
わけですし、そもそも、
ヤマトタケルというのは〝日本最強の勇士〟の称号で
記紀神話に描かれるタケルの英雄譚も
複数の人物のエピソードをあわせ、
更にドラマチックに仕立てたものという説もありますから、
第12代景行天皇の皇子の
ヤマトタケル(オウスノミコ)が亡くなったのが
能褒野王塚古墳で
オウスとは異なる東征の英雄ヤマトタケルのお墓が
ここ、白鳥塚古墳なのかもしれませんよね。

第12代景行天皇が在位したとされるのは4世紀前半。
オウスノミコが活躍、薨御したのも同時期とすると、
古墳造営の時期が4世紀末とされる能褒野王塚古墳が
有力なわけで、
築造時期5世紀前半と推定される白鳥塚古墳は
オウスの跡を継いだ東征の将軍だったのかもしれません。
もしも、歴代の英雄がここで命を落としたとするならば
東征によほど苦労したんでしょうね。
自然的な問題か、はたまた、強い権力者がいたのか。
伊吹山の〝神〟と語られるんですから、
相当苦労したのでしょうね。




■白鳥塚古墳(しらとりづかこふん)
《エリア》  白鳥塚古墳群
《時 期》  5世紀前半
《形 状》  帆立貝式古墳
《規 模》  墳丘長78m [後円部]二段構成で葺石、埴輪あり
        [後円部]径67m、高さ9m [方丘部]長さ16.4m、幅27m
《出土品》  円筒埴輪、朝顔形埴輪、壺・蓋(きぬがさ)・盾などの形象埴輪
《被葬者》  鈴鹿川流域を支配した首長
        古くから日本武尊の墓と伝えられていた。
        武尊の魂が白鳥になって飛びたったという伝説から
        白鳥塚古墳とよばれている。
《その他》  加佐登神社境内に駐車場あり
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