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八幡神社(大阪府三島郡島本町桜井)

③八幡神社(三島郡島本町桜井)

小さな通りの小さなお社でありながら、
古くからの歴史がギュッとつまった由緒ある神社です。



①JR島本町・西出口

こちらは、JR島本駅の西口です。
島本の駅には初めておりたのですが、
電車到着の音楽が、JRの通常のメロディではなく、
なんだかレトロな曲調なんです。
聞いたことのある曲だなあ…
ボン、ボン、ボンボボ、ボ、ボ、ボ、ボ…
と口ずさんでみると、ウイスキーのCMで流れている曲なんですねえ!
この辺りから大山崎にかけては、朝ドラでおなじみのマッサンが開拓した
ウイスキー蒸留所がありますもんね。

…と、それは、さておいて、今回は、
電車&踏切大好きなチビ姫のために、踏切の近い駅にやってきました。
沿線を少し歩いたところに、桜井村の踏切があるのですが、
遮断機が上がったり下がったりするのを眺めたり、踏切を行ったり来たりしていると、
通りの向こうに、赤い鳥居さんがチラリと見えたので行ってみることにしました。

②踏切

チビ姫は、踏切に後ろ髪を引かれているようですが…。


JR島本駅西口からすると、北へまっすぐ、踏切のある初の交差点を左折。
そこからは、50m程度で、神社に到着です。

③八幡神社(三島郡島本町桜井)

とてもこじんまりとしたお社ですが、
どこからともなく、水の流れる音がチョロチョロと聞こえ
また、すぐ近くに保育園があるようで、子供たちの声が聞こえ、
とても心地よい感じがします。

④八幡神社・碑(三島郡島本町桜井)

何という神社だろう…と辺りを探すと、お隣のお家の生垣に埋もれるようにして、
『八幡神社』という碑がありました。

⑤八幡神社・手水舎(三島郡島本町桜井)

鳥居さんをくぐってすぐに手水舎があります。
飾り気はありませんが、なんだか、さりげない美しさがあります。

⑥八幡神社・拝殿(三島郡島本町桜井)

御拝殿です。
鳥居さんから左手に回り込んだところが正面になります。
まずはお参りです。

と、お参りさせて頂いたものの、一体どんな御由緒の神社なんだろうと、
説明書を読んでみると、大変古い歴史のある神社で、
しかも、南北朝時代に活躍した楠正成公と関係のある神社とのこと!
足利尊氏との決戦の地、湊川へと赴くにあたり
この地にて息子と別れる際、社に菊水の旗と矢を納めたのだそうです。

失礼ながら、こんな小さなお社に、そんな歴史上の有名人と関わりがあるとは、
恐るべき畿内!恐るべき摂津!であります。

⑧八幡神社・摂社(三島郡島本町桜井)

ちなみに、御拝殿の奥にある御本殿の右後ろに、小さな摂社が一つ。
こちらは、楠正成公をお祀りしたお社なのだそうです。

②桜井駅跡・楠正成公決別の地(大阪府三島郡島本町桜井)

楠正成公といえば、JR島本町の駅・東口を出てすぐのところに、
桜井駅跡地として「楠公父子訣別の地」を記念した公園があります。

③桜井駅跡・楠公父子別れの石像(大阪府三島郡島本町桜井)

〝楠公父子訣別〟とは、南北朝時代を描いた古典文学『太平記』の名場面の一つで
建武3年(1336年)楠木正成公が、足利尊氏の大軍勢にわずかな勢で立ち向かった
いわゆる「湊川の戦い」に赴く際、
死を覚悟した正成公が、道中の、桜井の駅(三島郡島本町桜井)にて、
嫡男・正行(まさつら)を故郷へ帰した、という一節のことをいいます。

この像は、昭和15年(1940年)に建てられたとのことですが。
台座に刻まれた『滅私奉公』の文字が、造られた当時の時代背景を表しております。
ちなみに、この文字を書かれたのは、近衛文麿氏ということです。

明治以降から太平洋戦争中にかけて、正成公は、天皇を敬う忠義人として
かくあるべきと、国民教育に利用された感があるのがいなめませんが
日本国民が思い描く正成像の、忠義とか、潔さとか、
そういうものに惹かれてしまう気持ちは分かります。

ちなみに、私の正成公のイメージは、
子供の時にみた大河ドラマで演じていた武田鉄矢さんの姿なのですが、
片岡孝夫さん(今の仁左衛門さん)演じる後醍醐天皇の分からず屋ぶりに
子供ながらヤキモキしたのを覚えています。
(あと、真田広之さん演じる尊氏が、弟を毒殺する場面も手に汗にぎりました。)


④桜井駅跡・楠正成公父子決別の地(大阪府三島郡島本町)

いま思えば…
高速道路で島本町に入る時に見かける菊水の町章は、
正成公と関係があったのでうすね!




■八幡神社(はちまんじんじゃ)

《通称・別称》 矢納神社(やおさめじんじゃ)

《創建と歴史》
もとは薬師堂で、「若山神社(三島郡島本町大字広瀬)」の御旅所とされていたところ
貞観3年(861年)「離宮八幡宮(京都府乙訓郡大山崎町)」の一摂社となる。
(「若山神社」は、大宝元年(701年)行基により創建。
「離宮八幡宮」は、貞観元年(859年) 清和天皇の勅命により創建。)
明治以降、神仏分離令により、お堂にあった薬師如来像は、近くの「宝城庵(島本町桜井)」に移され、
明治8年 八幡社、河原八幡宮、坂口八幡社を併せて祀り「矢納神社」と称するようになる。

「矢納神社」という名前は、坂口八幡社がもともと称していたもので、
その由来は〝楠公父子訣別〟の際に菊水の旗と矢を納めたという逸話にあるそうです。

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